津村記久子氏、大ファンです。
(こういう公の場に書いておけば、間10人挟んでご本人に伝わるのではないかという、消極的すぎる応援)
「カソウスキの行方」での衝撃からの「ポトスライムの舟」。
「ワーカーズ・ダイジェスト」にいたっては救世主だもの。通勤電車で、どれだけ噛み締めるように読み返したと思ってるの。
ウェブ連載の「
まぬけなこよみ」をお仕事中にこっそり読むのが楽しみ。
二足のわらじでやっていくと仰っていた津村さんが会社を退職されたことを知ったとき、ものすごくびっくりしてちょっとショックだったり、さすがに体きついよねあのスケジュールじゃそりゃあねと思ったりごちゃごちゃだったけれど、最終的には、どうか筆一本でがんばってくれと祈りつつ粛々と本を手にしまして、
そうして、素晴らしすぎる作品に出会ってしまいました。
・津村記久子「ポースケ」
ポースケとはノルウェーの復活祭のことです。
そしてこの本は、大好き「ポトスライムの舟」の続編というか、ポトス〜の主人公ナガセ(無事工場の正社員になりました!)の友人でカフェ店主のヨシカが軸となって、そのカフェに集まる人々の日常や抱えている小さなわだかまりやちょっとした事件などが綴られています。
そのカフェでポースケが開催されるまでという時間軸です。
もういっかい書きますけどね、本当に本当に素晴らしすぎる。
基本的に甘さのない文章だと思います。
余計な感情を入れず、情緒にぶれず、的確に中心を射抜いている。
でも包容力があるというか・・・
いや、包み込むというよりは、電車で隣の人がうとうとして寄りかかってきたけど、まあ疲れてるんだろうししゃーないから降りる駅までこのままでいいわ、みたいな、
べったりしてないほどよい距離感と安心感。
ものすごくおもしろいけど戻ってくるのが疲れる本がある一方、津村さんの本は地に足ついた現実をしっかりと見据えさせてくれる。
現実逃避に走りやすい私ですけど、読むと自然とおなかに力が入るの。
現実しょっぱいですけども、どうにかこうにかがんばっていけるな、と。
そして今作では読みながら何度か涙ぐみました。
就職活動に行き詰る娘・亜矢子とその母親・十喜子の話、「亜矢子を助けたい」の中、
成績はいつも中の上で、高校大学の受験のときも、身の程をわきまえた学校を目指して、一度ももめたことがなかった。しっかりしていて、友達ともトラブルを起こさなかったし、変な男に誘惑されたこともない、手のかからない子だった。でも、手がかからないからといって、その子供が手をかけてもらえないことに哀しさを感じないというわけではないのだ。
(中略)
それがわかったからといってどうしようもないのだ。十喜子は社長ではない。家業があるわけでもない。亜矢子は外に出て働かなければならない。十喜子や正仁の力が少しも及ばない場所に、一人で飛び込んで、働いて生きていかなければならない。
なんでこんなこと、と泣き声の合間に、亜矢子が口にしているのが聞こえた。十喜子はうつむいて、その場を離れ、再び玄関に向かった。できることはほとんどない。自分が社長ならよかった、芸能人で、この子の面倒を見てちょうだいと誰かに言える立場ならよかった。
(中略)
だが、そんなふうに後悔をしても仕方がない。十喜子は十喜子で、その場その場を精一杯やってきたのだから。限界まで努力したのかと訊かれれば、言葉に詰まるのかもしれないけれども、それでも出せる限りの力で生きてきたのだ。何度も読み返して涙ぐんで、思わず蛍光マーカーで線をひくところだった。
あと「ヨシカ」も。ここで中心人物の章を挟み込むという構成が洗練されてる。
すごくシンプルなのに胸にずんずんくる内容で、そして短い。この短さが本全体としては終盤なのだけど、プロローグみたいな効果で、うめえなほんと。
第一章のタイトルが「ポースケ?」で、最終章が「ポースケ」なのも。
さすがに全部は抜き出せないけれど、どの章もなんでこんなの思いつくんだろうと、ものすごく的確だと唸るしかないです。
「ハンガリーの女王」の言葉や反応で他人を自然と操作する先輩とか、「苺の逃避行」の表向きは叱咤だけれどそこに個人的な毒を含ませる教師とか、「歩いて二分」の人を謗ることで優位に立っていると思いたがる上司とか、
ささやかだけれど日常的にあるものだから積もり積もって、なんでこんなに何かを背負わせられなきゃいけないんだろうとうつむきたくなる、そんな嫌なこと。
それをどうにかこうにか循環させていく市井の人々の小さながんばりとか心のあり方とか、ものすごく支えてくれるのです。
みんなどうにかこうにかやってるんだと、自分のもやもやを一般化できる。
お仕事の話ですが、今週、妊娠中の先輩の代理で訪問したユーザー。
あくまでピンチヒッターとして請け負ったにもかかわらず、ものすごいボリュームでした。
まーー神経質&金出してるんだからなんでもやってもらえて当然な傲慢客で、
さらにそういう客特有の「主語がない」「説明が下手くそ」「基本言葉足らず」なしゃべり方のせいで意図を汲むのが非常に難しく、その上「すぐに理解してもらえないといらいらする」がプラスという、オプション付けすぎな状況でして、
でもなんか楽しかったです。いや、全然楽しくない状況なんだけど、客の後姿を見つめつつ、
「今私、この人躊躇せずに殴れる。自分でもびっくりするくらい余裕で殴れる」
とか
「でも殴らない。『殴れない』んじゃなく『殴らない』んだ。この違いわかるな?」
とか、物騒なことを考えつつにやにやする、ものすごいネガティブなポジティブさ!
これが津村記久子効果なんですよ!!
ものすごく申し訳ないと何度も謝る先輩に言った「全然平気ですよー」は嘘じゃない。
私は、自分が受け持つユーザーに「わからなかったら何でも相談してくださいね」でどっぷりはまりすぎて、結果自分の首を絞める傾向にあるので、
今回みたいに「一応訪問してるけど、私、正担当じゃねーから」な状況は、一歩ひけるし精神的に負けない。
会話でもがつんとアドバンテージとれた瞬間があったし、そこでああなるほどと納得した様子もちらりと見えたし、
何より、私が楽だ。これで行こう、と。
「ワーカーズ・ダイジェスト」のとき同様、「ポースケ」も何度も読み返して、うまいこと日常を回していこうと思います。
静かに、粛々と。